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まだ足りないものがある。 第11節大宮戦(H) [生観戦]

FC東京観戦記2005
05 /09 2005
ロスタイムに失点、東京の選手達は倒れこんでしまった。
「立ち上がれ!」とサポーターは叫んだ。まだ試合は終っていない、最後まで諦めるな、と。
頭では分かってる、彼らの言っている事はもっともだ。
それでも、立ち上がれないのは私も同様だった。

嫌な予感はしていた。私は同じ光景を観た事があった。川崎×浦和だ。
終盤、勝ちを意識する余り視野が狭くなり、クリアボールが中へ中へと行ってしまいそれを拾われ、繋がれ攻勢を受け、またクリアする繰り返し。いつ破綻しても不思議ではなかった。
しかし、それでも私に覚悟は無かった。目の前で戦っているのは「お客さん」として観ている川崎ではない。「共に戦う」東京なのだ。破綻など考えられなかった。愛故に盲目とはこの事か。

覚悟の無い私に現実は何の遠慮も無かった。
目から脳に伝わる映像では石川が何度も、何度も何度も何度も何度もピッチを叩いていた。
それまでに私が観ていた石川、それは壊れそうな程かけずり回る悲壮な覚悟を持った戦士だった。
にこやかに駆けるいつもの姿ではなかった。彼は本当の笑顔を取り戻すために必死に戦っていた。もう少しで手が届くところだった。

映像はどんどんと送られてくるが、とても受け入れる事など出来なかった。
彼、そして私が望むものを手に入れる事が出来ないと思うと、ただひたすらに哀しかった。

程なくして選手達が挨拶に来ても思考は停止していたが、やり場の無い怒りと共に歩く石川の姿が負けたという理解を進めた。
私は呆けたまま彼らになんとなく拍手を送り、なんとなくユルネバを唄った。今までで一番気の抜けた唄だった。

試合後数時間たった今。
引き分けは必然であったように思う。
気迫と個人技でもぎ取った2得点。
主審による明らかな帳尻合わせによる得点後の「集中力欠如」と、勝利を目前にした「過緊張」による2失点。
(松尾主審の出来は今季生観戦中最低であり、暫くはJ1の試合を吹くべきでないと思うが上記のように帳尻合わせをしたので勝敗には関係が無い。)

大宮戦、終盤を除いて連敗前の東京のサッカーはある程度できていたはずだ。いや、気迫がある分上回っていた面もあるだろう。
それでも勝ち点3に足りないのは何か。
選手の気持ち? 余りある程ではなかったか。
サポーターの声援? 届いたからこそ選手の気持ちも引き出せたのではないだろうか。
フロントの支援? 足りないが、アテにせず現状の選手達で乗り越える方が良いだろう。
私は足りないものを、特に原監督に求めたい。
攻撃に連動性が少なくマイボールを簡単に失うのは何も連敗中に限った事ではない。
彼はやり方は間違ってないと言った。
私は思う。このまま突き進むだけでなく、より多くの選択肢を選手に与えるべき授けるべきではないかと。幹はそのままに、枝葉を増やすべきではないかと。

選手は単に「気持ち」という言葉だけでは言い表せないものを私に見せてくれた。
今度は原監督、あなたが私に監督としての器を見せ付けてはくれないか。

時間は6日ある。幹をより強固なものとし、今迄の教訓を糧にいくつか枝葉をつける事も出来るはずだ。
原監督の大きな器の中伸び伸びとしたサッカーでこの試練を乗り越える選手達の姿を私は観たい。

ならば臨海へ行こう。
共に戦おう。
そして、勝利の美酒を共に味わおう。
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いぎーた

昔とやること変わらない40代独身男
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